アメリカやヨーロッパのクルマに追いつき追い越そうと試行錯誤していたかつての日本車。スタイリングや走行性能などクルマ作り全般に関して、当時の先端技術によって作られた欧米の名車たちを模範として、国内メーカーのエンジニアやデザイナーたちが英知を結集してクルマ作りをしていた。海外の技術者やデザイナーに開発の一部を委託することもあった。
60年代中期に生まれた日産セドリックは、イタリアの著名なカロッツェリア(自動車の設計・デザインを専門に行う企業体)であるピニンファリーナにスタイリングを依頼、それまでのアメリカンデザインから一転、流麗なスタイルになり、当時の日本人の目にもさぞ新鮮に映ったに違いない。そして日本自動車史に名を残す一台だと言えよう。
イラストは1967年製のセドリック・カスタム6。この車体はタクシーやパトカーにも使われ、当時非常にポピュラーな存在だった。ほどよく主張のあるヨーロピアンなフロントマスク、尻下がりのシルエットが今も印象に残っている。